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Selfishly

Selfishly

Radiant,Ever Forever p3

 ~~~ Time that begins to move ~~~


 久しぶりの大都市は、さすがに驚くほどの喧騒だ。
 数年前の大事件の痕も覆い隠すほどの発展と活気に満ち溢れている。良く目かもしれないが、軍が全統括を行っていた頃よりも、行き交う人々の姿が溌剌としているように見える。

 軍事国家から抜け出そうと歩み始めた国は、まずは市政に関する事柄には、市民からの代表者が発言する権利を得るようになった。今はまだ多種多様の意見や陳情を上手く捌き切れていないと聞き及んではいるが、軍からその道のエキスパートを補佐として出し、軍と市民とで二人三脚で歩んで行ってる様だ。
 よちよちと歩き出した市民が、一人歩き出来るようになるまではまだ数年は掛かるだろうが、遅々とした進みでは有っても自分達で歩き出したことには変わりない。そんな背景のおかげか、どこか軍任せにしていた時よりも覇気が感じられる気がする。

「号外! 号外~! シン国との親善使節の訪問が決まったぞー」
 勢い良く上げられた言葉の内容に、あっと言う間に人だかりが出来、その新聞を手に輪から抜け出て読み耽る人たちが見られる。
 最近、国外との外交に力を入れているアメストリスでは、和平や調印の論争が市民の大きな関心ごとにもなっている。それを進展させる鍵を握っていると言われているのが、シン国との国交関係だ。1年ほど前に皇帝が変わったシン国は、以前の旧体制を貫くのを止め、諸外国との交流を主軸に国政を整えて行っている。
 若い皇帝、リン・ヤオ皇帝が諸外国を漫遊していた話はさすがに伏せられてはいるが、アメストリスに友好的な考え方を持っているのは周知の事実だ。
「あいつ、とうとう動き出すんだな…」
 その情報をいち早く本人からの親書で知っていたエドワードは、感心しながら嬉しそうな笑みを浮かべる。
「あ、あのぉ…。宜しければ、どうぞ?」
 人だかりをじっと見つめていた所為か、読み終わった号外をエドワードに差し出してくれる女性に礼を告げて受け取る。
 概要は知っているとは云え、詳細まではさすがに判らない。エドワードはざっと目を通すと、親切なその女性にもう一度会釈をして、号外を手に歩きだした。

 その号外に書かれているのは、今回の親善での主権は市民側の代表にあると書かれている。軍の立会いの下にはなっているが、これは素晴らしい進展だ。外交を自分達で手がけれるようになれば、軍への影響も大きくなる。現在日程は調整中だが、数ヶ月以内には和平を主軸の訪問が実地される。

 ――― あいつ…、やっぱり凄いな。
 これだけの後押しを出来る人物なぞ、ロイしかいないだろう。
 名前は挙がってはいないが、この一幕を根回しした人物は間違いない。イシュバールの復興も北方司令部の助けを得て、着実に築かれているらしい。確執が無くなったとは言えないが、痛みを飲み込んで新たなる関係を築こうとしているのだ。

 そう思えば思うほど、ロイ・マスタングと云う人物は、この国になくてはならない存在なのだと思わされる。
 エドワードは知らず知らず力の入った掌を握り締めながら、自分の中に気合を溜め込む。過去の瑣末な感傷などに構っている暇は無い。自分は自分の出来る事を全力で取り組むまでだ。


 ホークアイとの邂逅から一ヶ月ほど経っている。
 引き受けていた仕事を終わらせ、必要になりそうな事項を纏めて準備するには、どうしてもそれ位の時間が必要だったのだ。
 本当なら一も二もなく駆けつけたかったが、焦りは禁物だ。
 重要なことなら尚更緻密な準備は必要だと言う事は、錬金術師だった頃に身に染みている。

 懐かしい中央の受付で、今度は階級を間違わずにホークアイ大佐に取次ぎを頼む。どうみても一般の市民のエドワードでは怪しまれるだろうかと云う危惧は不要だったらしい。現に待合場所にも、民間の人達が結構座ったり、談義を交わしているのが目に入る。
「軍も変わって来てるんだなぁ」
 蒼の制服と私服の者達が、偶に笑い合い、真剣に頭をつき合わせて話し込んでいる光景など、昔には見られなかったものだ。

 周囲を観察していると、取次ぎが終わったのか。
「エルリック様、ホークアイ大佐はロイ・マスタング大将のお部屋でお待ちです。ご案内の者が迎えに来ますまで、こちらの書類にサインをしてお待ち下さい」
 そう言って指し示された入館者名簿に名前を書く。そして、もう1枚出された入館証明書と書かれた用紙にもサインをしていると、ポンと肩を叩かれる。
「フュリー、…中尉!」
「こんにちは、エドワード君。久しぶりだね」
 にこにこと昔と変わらず人好きのする笑みを浮かべながら、フュリーは年月を感じさせない気安さで挨拶をしてきた。
「入館証の発行は部屋まで届けて下さい」
 フュリーは受付の女性にそう伝えると、エドワードにこっちだよと声をかけて歩き出す。大人しく、どこかおどおどした処があった彼も、今は堂々ぷりが板に着いている。
「皆の近況は会ってから話すとして…。
 実は1つだけお願いがあるんだ」
 そう前置きしてウィンクして見せるフュリーに、エドワードは首を傾げる。
「部屋に入ったらまずは黙って着いてきてくれる?」
「黙って…?」
「そう。今日のメンバーの中で、エドワード君が来ることを知らされていない人が一人だけ居て。サプライズで驚かせようって話になったんだ」
 くすくすと笑って説明するフュリーの様子に、エドワードは何となく察しが付いた。
「――― それって…。後で叱られたりするんじゃ…」
 エドワードが気遣うように告げると、フュリーは不思議そうな表情を浮かべて。
「叱られる…程じゃないと思うけど? ちゃんとスケジュール調整はホークアイ大佐がされているし…。知らされてなくて悔しがる位はするかもね」
 暢気なフュリーの回答に、エドワードは半信半疑な気持ちだ。

 外の護衛に軽く頷いて入って行くフュリーの後を、エドワードは緊張した面持ちで着いていく。中には顔見知りのメンバーが、無言で嬉しそうに手を振ってるのが見える。それに頷く事で挨拶を返すと。

 ――― コンコンコン ―――
 軽いノックの後に、フュリーが入室の許可を伝えている声で、エドワードの緊張は更に高まった。
「ご案内して参りました」
 その言葉に聞きなれた女性の声が返ってくる。
「失礼します」
 静かに開いていく扉の中には、デスクの机の前に立つ女性の姿と…。

「フュリー中尉、ありがとう。
 閣下、医師がお越しになって下さいました」
 椅子ごと窓の方を向いていた相手が、その声に僅かに肩を竦めたのが見えた。そして、酷く億劫そうに立ち上がると。
「… どうも、わざわざ遠いところを――――――」
 挨拶にと掛けようとした言葉が宙で止まる。
 驚くように瞠られた瞳で、ああ、今はちゃんと見えてるんだなと、エドワードが確認できたのだった。
 ロイはエドワードに向けた視線を動かす事無く、飽きずにじっと見つめてくる。暫くして何度か瞬きをしたかと思うと、溜息を1つ落として。
「成る程……… こういうわけだったのか」
 と非難交じりの言葉を、隣に立つ彼女へ零した。
「さぁ? 閣下の差すものがどのようなものかは判りませんが、私が依頼した医師は彼です」
 暗にきちんと確認しなかったロイを責めてもいるように受け取れる。そんなやりとりを前に、横から後ろから小さな忍び笑いが聞こえてきたかと思うと。
「やられましたねぇ~、閣下」
 そのハボックの言葉を皮切りに、皆が盛大に笑い声を上げ始めた。
「――― 知っていて黙っているお前達も同乗だろうが…」
 ぶっすりと零された悔しそうな捨てセリフに、笑い声に歓声まで混じる。
「あ、あのぉ………」
 皆から取り残されたようになっているエドワードが、困ったように声を掛ければ、ロイは観念したのか肩を一つ竦めてエドワードに向き合ってくる。
「久しぶりだね、鋼の。… いや、今はエドワードと呼んだ方がいいな」
 そう言って歩いて近づいてくる。
「すまないね、君も忙しい日々過ごしているだろうに」
 そう言って差し出された手を、エドワードは慌てて握り返す。
「さぁ、そんな処で立ち話も何だし、どうぞこちらに座って」
 ホークアイが指し示されたソファーへと二人して歩き出すと、わらわらと他の者まで集まってくる。
 久しぶりだな。大人っぽくなって。彼女出来たか? 口々に掛けられる言葉に、エドワードは苦笑しながら1つ1つ返していく。随分、偉くなったと云うのに、親しみ籠もる皆の態度の代わりの無さに、心が温かくなっていく。
 そして、ロイに拒絶されなかったのも、浮き立つ気持ちに拍車を駆けているのだろう。

「好い加減、話はお終いにして仕事に戻りなさい。エドワード君は暫く滞在してくれる予定だから、先に彼に来てもらった用件に掛かってもらわないと」
 ホークアイの言葉に皆がハタと会話を止めると、「また後でな」と声を掛けながら部屋を去っていく。
「御免なさいね。皆、少し浮かれているのよ」
 そう謝りながらエドワードにお茶を出してくれる。
 ――― 浮かれている? 皆が?
 自分は確かに変わらないメンバーの歓待に浮かれて入るだろうが、懐かしい相手が来た位で、皆が浮かれるような事があるのだろうか。
 そう思った考えが顔に出ていたのか、ホークアイは困ったような表情で、少し視線を落として答えてくる。
「… あなたが来てくれれば、閣下のことも好転するんじゃないかと」
 躊躇いがちに告げられた答えに、エドワードは納得し、ロイは渋い顔をする。
「大佐…。余り過剰な期待を寄せては、エドワードが困るじゃないか」
 やや非難が混ざるその声に、彼女は小さく頭を下げる。
 
 明るく変わらない様子を見せてはいたが、皆不安を抱えているのだ。折角、目標まで手が届きそうになったこの時に、行く手を遮る困難な影が落ちてこようとしていれば、不安にならないわけがない。
 エドワードははぁーと深呼吸をすると。
「たい…、閣下。大丈夫だって! あんたの目は必ず、俺とアルで治してみせる。いや、治るんだ。俺らを信じてくれて間違いないから」
 明るく言い切るエドワードに、ホークアイは感謝と縋るような目を向け、ロイは…眩しいものでも眺めるように目を眇めてみせる。
「そろそろアルからも連絡が帰ってくる頃だから、俺が先に様子を見させてもらって、あいつと相談してから治療法を決めるよ」
「エドワード、気持ちはありがたいが…。――― 無理な事だけは…」
 ロイが何を思って気遣ってくれたのかは判る。だからエドワードもそこだけははっきりと告げながら約束をする。
「判ってる。あんたの心配しているような手段は使わない。
 ――― そんな事をしても、誰も喜ばないもんな」
 それで助けられたとしても、逆に重い罪悪を与えてしまう。
 それが近しい者、親しい者なら尚更だ。

「ああ…、その通りだ。あれを行って得た未来は、誰も幸せにしない」
 苦渋の翳がロイの顔色に濃く浮かぶ。
「ああ………」
 その場に重たい沈黙が落ちる。

「で、何か治療法でも見つけたのかい?」
 重くなった空気を払うように、ロイが話を切り替えてくる。
「治療法、ってわけじゃないけど。――― ここ暫く考えた上での考察かな? それが当たっているかは、実際俺が確かめて見ないと何とも言えないけどな」
 そう言って、エドワードは自分の出した結果を話し出す。




「――― 成る程…。では、今の視力が無くなる要因を作ったのは、元々の賢者の石を使っての練成に無理が有ったと?」
 エドワードの話した内容を検証しながら、ロイが足を組んで座りなおすと組んだ片手を顎にやって考え込んでいる。
「大佐には前に話したんだけど。練成で無理やり動かしたものには歪が出る。石の効力がある間は、そのエネルギーによって動かせるけど、それが切れれば終わりだ。あんたの取り戻した視力は、眼細胞や神経を使ってではなくて、石だけの力で動いていたと言った方が早いと思う」
「――― その間、目の働きを止めてしまって、だな…」
「ああ。どんな細胞も神経も使わないと退化する。視力を取り戻すまでは間違いが無かっただろうから、後は自身の力で働くように促す必要があったんじゃないかと」
「じゃあ、促せば治るとっ?」
 隣で話を聞いていたホークアイが、身を乗り出して言葉を挟んでくる。
 期待に満ちた彼女の質問に、エドワードが何と答えれば良いのかと逡巡していれば。
「 ――― そうするには、細胞や神経の機能が衰えすぎている…かもと?」
 冷静なロイの言葉に、エドワードは言葉に詰まり、ホークアイは無音で息を呑む。
「… まだ、絶対にそうだとは言えないけど―― 多分…」
 治療した専門家が口を揃えて断言したと言うのなら、多分、結果は同じだろう。
「で、では………。閣下の、目は――」
 全てを告げる事も出来ずに黙り込むホークアイに、エドワードは首を振って否定してやる。
「さっきも言っただろ? 大丈夫だって。俺とアルに任せておけ」
「エドワード…、何をするつもりなんだ?」
 訝しい目でエドワードを見てくるロイと、怪訝な表情で窺ってくる彼女に、エドワードはにやりと笑みを見せてきっぱりと告げる。

「新しい細胞、その他の神経を創る」

 その言葉は予想外だったのか、二人とも呆気に取られた表情でエドワードを見つめている。
「細胞を作ったり修繕するのは禁忌の人体練成じゃなくても、生体練成で出来る。それは俺とアルが捜し求めていたものの案の中にもあった事だ。キメラ化した人と獣を分離するのは難しいけど、キメラ化した細胞を人細胞へ変化させるのは出来るはずだ。
 その応用を使えば、あんたの壊死しかけている細胞や神経も再生できるはずだ」
 そう話すエドワードに、ロイは感嘆の吐息を落とす。
「君は……」
 元々、幼くして天才の名を欲しいままにしていた彼だ。その明晰な頭脳の冴えは、彼が錬金術を使えなくなったくらいで損なわれるものではない。
「なっ? ちょっとした発想の転換だろ?」
 手品の種明かしをした子供のようにそう告げるエドワードに、ホークアイまでも笑いを誘われる。
「エドワード君、あなたって本当に―――」
 エドワードが簡単に言ってくれたことが、本当にそう容易いことだとは思わない。が、彼はそれを承知で告げてくれているのだ。
 必ず、治してみせると…。
 ホークアイは目尻に浮かぶ涙を悟られないように、お茶の替わりを淹れて来ると席を立った。


 ロイは目を細めて、自分から遠ざけた相手を見つめる。
 危険がより少ない未来を進んで欲しかった。
 傷だらけになり。血反吐を吐くような思いを何度もしてきた少年だ。自分達の悲願を叶えた後は、誰よりも穏やかで平穏な道を進んで幸せを全うして欲しかった。
 これからも安全とも平和とも、縁が無い道を進む自分達とは違う道を ―――。

 それでも彼は躊躇わずに手を差し伸べてくる。
 どれだけの苦労や犠牲も厭わずに。

 それが嬉しくもあり、心苦しくもある。
 彼の懐の広さを知るたびに、自分は彼に甘え、依りかかってしまいそうだ。そうなれば…。1度でも依りかかることを知ってしまえば…。
 ロイはふるりと小さく身を震わせ、頭を振る。
 それ以上考えるのは怖いと思いながら―――。

「後、当座の対応でさ…」
 そう話を続けられて、ロイは自分が目を伏せていたことに気づかされ、開いてエドワードの方を見る。エドワードは持ってきた荷物からごそごそと何かを探しているようだった。
「あったあった」
 嬉しそうにそう零すと、ロイに小さな箱を差し出してくる。
「これは?」
 過去に似たようなケースを見たことがあったが、まさかそれに関するものをエドワードが差し出してくるとは思い難いのだが…。
「指輪だ」
 あっさりとロイの予想を肯定して、エドワードは蓋を開けて中を取り出してみせる。
「ゆ、びわ……」
 反応に困っているロイに気づかずにエドワードは、ロイの手にそれを持たせようとする。
「これは特殊な金属で出来ている指輪でさ。人の耳には感知出来ない音波を発するんだ」
「音波…」
「そう。余り範囲は広くないんだけど、周辺2,3m範囲なら探知できるはずだ」
 そう説明され、ロイは手にした物をまじまじと検分する。2重のリングを重ねて作られたそれは、内側にびっしりと文様が書かれている。
「――― これは…、練成陣」
「そうだ。その音波を感知して伝えるように組まれている」
「成る程…」
 そこまで説明されれば、この指輪の働きも判ってくる。
「伝えられる情報を理解するのには、少し訓練がいるとは思うけど、あんなたらすぐに使いこなせるようになると思う」
 センサーの働きをするのだろう指輪を、ロイはじっと掌の上において眺める。
「あ…、拙かったかな」
 常に触れれるものと考えて指輪にしたのだが、男性のロイに指輪の形は失敗だったろうか。作り直して別の形をした物にするべきだろうかと考えていると。
「――― 君は…、エドワードは試してみたのか?」
 ロイの言葉は尤もだろう。練成陣が引かれている指輪など、物騒で簡単にはめられはしない。
「お、俺は錬金術が使えないから…」
 試作を試していなかった事に気づいたエドワードが、自分の失態に言葉を詰まらせる。安易に作って渡して良い物ではなかったかも知れないと後悔し始めた瞬間に。
「君が作ってくれた物だ。有り難く使わせて頂こう」
 そう言って嬉しそうに笑うロイの様子にほっとし、口元が緩む。
「折角だから、作成者にはめてもらいたいんだが?」
 そう言って指輪を差し出してくるのに、緩んだ口元が逆に下がる。
「――― それ位、自分ではめろよ」
 何も難しいものではない。ちゃっちゃと指にはめ込めばいいだけではないか。
「君が作った物なら、最後まで責任を持つのが研究者としての正しい姿じゃないのかな? どの指にはめるのか、決まっているのかい?」
「えっ…。別にどの指と云う事も無いけど。はめれば持ち主の反応して練成が始まるから、それでサイズも合うようになるはずだ」
 リングを擦り合わせるのに便利な指なら、特にどの指でも問題ないだろう。
「そうか…。―― なら、執務や練成に邪魔にならない左指にしてもらおうか」
 そう言って手を差し出してくるから、エドワードは戸惑いながらもロイの手を取る。
「指は触れやすい薬指に頼む」
 確かに薬指にはめれば、親指で触れやすいだろう。エドワードもそう思ったから、何の疑問も持たずに左の薬指にはめてやる。
「――― ありがとう。大切に使わせて頂くよ」
 燐光のような小さな光を発し、光が収まると同時に指はロイの薬指にしっくりと馴染んだ。
「… じゃあ、1回擦って見てくれるか? 様子を見たいから」
 妙に気恥ずかしい空気に、エドワードは気分を切り替える為に淡々と告げる。ロイは言われた通りに指を擦り合わせて見せると、目を軽く瞠る。
「これは…面白いな」
 好奇心を刺激されたのか、ロイの声も幾分弾んでいる。
「目を閉じてやってみろよ。多分、もっと感覚が掴みやすくなるぜ」
 それに頷いて目を閉じて指を動かせば。
 見えない視覚を補うかのように、周囲から還る反応が伝わってくる。神経に煩わしいような感覚ではなく、視界が開けた時に感じるようなクリアーな爽快感が頭の中を通っていく。
「何度も使ってる内に、距離感や大きさも判るようになってくるから、暫くは練習がてらにやってみてくれ」
 その言葉を聞きながら目を開いて、エドワードに微笑みかける。
「本当にありがとう。凄く―― 助かる」
 改まってのロイの感謝の言葉に、エドワードは照れくさそうにそっぽを向く。
 その時に部屋をノックする音が聞こえ、ロイが応えると席を外していたホークアイがトレーを片手に入ってきた。
「遅くなって御免なさいね。これ、良かったら」
 淹れたてのお茶のお替りと一緒に差し出されたのは、美味しそうな小振りのケーキだった。
「美味そう…。サンキュー、ちょっと腹が空いてたから、嬉しいよ」
 そう言って受け取るエドワードに、ホークアイも嬉しそうに笑い返してくる。
「そう? 良かったわ、相変わらず甘いものが好きなようで。良かったらお替りは沢山用意してあるの。どんどん食べて頂戴ね」
 自分用にも運んできたのだろう。エドワードとは種類の違うケーキを乗せた皿を取って腰を掛けてくる。
「… た、閣下の分は?」
 思わず階級を間違いそうになりながら、一人だけ皿の無いロイに気兼ねしたように窺ってみる。
「この人、甘い物はお好きじゃないの。だから差し入れは、私達でいつも山分けよ」
「そう言うわけだから、私の分もどんどん食べてくれ」
 ロイがそう受け答えながらカップを持ち上げると、さすがに女性は目聡い。
「閣下…、その指輪は?」
 先ほどまで無かった物を、彼女は不思議そうに眺めて質問してくる。
「ああ、これはエドワードが私に捧げてくれたものでね」
 嬉しそうにそう告げて、わざわざ指輪を嵌めた掌を振って見せたりしている。
「ちょっ! … 誤解招くような言い方をするなよ!
 ホークアイ大佐、それはセンサーなんだ」
 慌てて説明するエドワードを、ロイは愉快そうに見つめお茶を飲み始める。自分で説明する気が無いのだろう。

 一通り説明が終わると、彼女はエドワードには感謝の言葉と眼差しを送り、ロイには窘める視線を向けている。そんな彼女の視線を気にすることもなく、ロイは嬉しげに指輪に触れては感覚を掴んでいるようだった。
「で、今後の事なんだけど…。出来ればエドワード君には、閣下の様子が良く観察できるようにして貰いたいから、なるべく行動を共にして貰えればと思っているの」
「ああ、それは勿論、その方が俺も都合がいいし」
「そう? そう言ってもらえれば嬉しいわ。なので宿泊は閣下の官舎で構わないわね?」
 そう告げてくる彼女にエドワードも少々驚いたが、ロイの困惑は更に大きかったようだ。
「ホークアイ大佐…」
 彼女にそう呼びかけている声も戸惑いが濃い。
 2、3日ならともかく、昔の知人と生活を共にするのは辛いのかも知れないと思い当たって、エドワードは遠慮するような様子を匂わせる。
「大佐…、別にそこまで気にしてもらわなくても、俺なら仮眠室とかでも全然、構わないんだぜ?」
 そのエドワードの言葉には二人とも余り良い表情を見せない。
「エドワード君、仮眠室でなんて…。あんな処、長期の寝泊りが出来る環境じゃないわ」
「そうだとも! 常に人は出入りしてるし、誰か寝ている状態だし。
 そんな中に入るなど、とんでもないっ」
 力説してくるロイにエドワードは目を白黒させる。
「えっ…? 別に、そんなに神経質な方じゃないし―」
 大丈夫だと告げようとした言葉も、ロイの強い否定で消える。
「駄目だ! あんな処に君を寝泊りさせるなら、まだ私の官舎の方がマシだ」
 ――― マシ…? そんな比較になるほど、散らかってでもいるのだろうか?

「では、そう云う事で宜しいですね」
 ロイに念を押しているホークアイの目には、最初からそう言えば良いものをと云う呆れが混じっている。
 その批判から視線を逸らすように、ロイは渋々と頷き返したのだった。

















 *****

 余り、期待はしないでくれ。

 そのロイの言葉どおり、連れて来られたロイの官舎は殺伐としていた。本だけはゴロゴロとあるが、他は――― 必要最低限で暮らしているらしい。部屋数は大人数の家族が何組も暮らせそうなほどあるのに、使われているのは2,3部屋のようで、ちらっと覗いた他の部屋では埃を避ける白いシーツが被されたままだった。

「ここまでくれば…見事だよな」
 エドワードも男の一人暮らしだが、この使われ方と比べればちゃんと生活をしている方だと言える。見事に機能していない屋敷は、家というよりは宿舎に近そうだ。暮らす環境ではなく、寝る所さえあれば良いと云う様な。そんな空間で長く居るなど、苦痛ではないのだろうか…。エドワードは、適当にしていてくれと言われたとおり、取り合えず落ち着いて座れる場所を作ろうと片付け始める。
 まずは置き捨てにされているゴミを集め。次は放置されている書籍を整えて並べる。ある程度空間が出来てくると、気になる洗濯物をクリーニングボックスに放り込み、使われたことがあるのかを疑うような箒とモップで埃を拭き取る。ここまでくれば後は意地だ。
 雑巾を持ち出して家具を磨き上げてやる。
 額に浮かんだ汗を拭き取ると、思い出したように風呂場へと足を運ぶ。
「…やっぱ、ここもか」
 歩いた道筋が判る様についている跡に、使われた様子の薄い浴槽から洗い出し、タイルや棚も綺麗に磨き始める。使用・未使用も纏めて放り込まれているタオル類を、選り分けて棚の扉が閉めれるようになると、どっと疲れが押し寄せてくる。
 汗だくの身体が気持ち悪くて家主不在時に使うのは気が引けたが、そのまま風呂でシャワーを浴びると、取り合えず棚にあったバスローブを引っ張り出して着る。

「――― 何しに来たんだっけ、俺…」
 何とか座れるところまでになったリビングのソファーに、疲れた身体を落ち着かせると、思わず大きな欠伸が出る。昨夜は緊張の所為か寝れずに、そのまま長距離を列車で移動してきたから疲れてて当然だった。その上、予定外の労働に少々身体疲労を訴えてきても仕方が無い。
「――― 着替えなきゃ…」
 目の端に持ってきたトランクが目に入ると、エドワードは緩慢な思考でそんなことを考える。そろそろあいつが帰ってくる時間になる。それまでにはきちんと着替えて…。でも、ねむい…。おき、なきゃ…。

 その夜は不思議な夢を見た。

 大佐が傍に居て、俺に何かを話しかけている。
 暫くして話しかけるのを諦めたのか、大佐は俺の髪を何度も何度も梳いてくれていた。それがあんまりにも気持ち良かったから、上げようとした瞼がなかなか言う事を聞いてくれない。

 気づけば柔らかな温もりに包まれた俺は、ゆっくりとその中に沈み込んで行く感覚を感じていた。

 そして、おやすみと告げる声が酷く優しく感じられ、薄く微笑んだ俺の唇には温かいものが羽根のように触れていく。
 そんな夢を ―――――――――。


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